雨に向かって、真っ青に咲く

精神病を克服した人の 心がちょっと楽になる話

ストレスにうまく対処するための方法 ~後編~

 

どうも、Akiraです。

 

今回は、前回の続き。

東洋の知恵に学ぶ、

具体的なストレスへの対処法です。

 

仏教という切り口と、

古武道という切り口。

 

順番に見ていきましょう。

 

・仏教に学ぶストレス対処法

仏教といえば、お釈迦さんです。

世界の四聖人に名を連ねる、すごいお方。

 

解決法が「このお経を毎日唱えて下さい」

とかではないので、安心して下さい。

 

このお釈迦さんの語った言葉と向き合って、

僕が仕事しながら実践してきた方法を紹介します。

 

人が感じるストレスの出処というのは、

大まかに2つに分ける事が出来ます。

 

1.自分が内側から発生させるもの

2.外側から自分にもたらされるもの

 

独自の分類になりますが、

定義を具体に寄せすぎると、

あまりの膨大さでキリが無くなります。

 

複雑かつ膨大に思えるものを、

シンプルな抽象概念に格納してまとめてしまう。

これも東洋的な発想ですね。

 

「道」とか「禅」とか「仁義礼智信」とか、

みんなシンプルでしょう?

でも紐解くと、とんでもない深遠な世界が展開されます。

深すぎて一生かけても分からないと思います。

 

では、お釈迦さんの言葉に照らしながら、

対処法を解説していきます。

 

「ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によって作り出される。
もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、

苦しみはその人につき従う。
――車をひく(牛)の足跡に車輪がついて行くように。」
(真理の言葉 第一章 一)

 

心が現実を作っているのだから、もし苦しいのならば、

それは苦しさを生むような自分の心の有様が原因なのだ。

 

そんな厳しい指摘が、冒頭から語り出されます。

 

だから執着を手放して、心を清らかに。

 

となるわけですが、それが難しいんですよね。

 

僕も結構悩んでしまって、

一時期は朝出勤する時、

吐いてから出かけるほどストレスを溜めました。

 

どうやって変えたのか。

 

無くそう、変えようとするのをやめ、

発想を逆転します。

~~~~~~~~~~

私は〇〇に執着しています。それを認め、受け入れました。

執着していた私を、私は許します。

 

私は〇〇に怒りを感じます。それを認め、受け入れました。

怒ってしまった私を、私は許します。

 

私は〇〇が不快です。それを認め、受け入れました。

不快に感じてしまった私を、私は許します。

~~~~~~~~~~

実は上手く行かないときって、

自分に対して禁止令を出しているんです。

この禁止令がより大きなストレスだから、

許容を超えるストレスを避けるために、

禁止令を解いていたんですね;

 

そしてもう一つ。

その感情を生む原因は、

自分の中ある拒絶や否認なんです。

 

なので、

 

許し、許し、しまったと思ったらまた許し、

許して許して許し続けてみたんです。

 

自分で自分に許しを与える意識を働かせると、

視点がだんだん客観性を帯び始め、

物事がより詳細に見えるようになり、

見えるから理解できるようになります。

 

理解の範囲はどこまで及んでいて、

どこが分からないのかも明確化します。

(これはソクラテス無知の知ですね)

 

何が自分の動かせることで、

自分の及ばないことは何かが見えてくると、

やること、やらないことがはっきりします。

 

今までストレスを感じていた人、物、事。

それらに対するネガティブな気持ちが、

自然と軽減していきます。

 

軽減したことで心に余裕が生まれ、

普段の言動が変化していきます。

 

すると、ストレスを感じていた現象さえ、

やがて鳴りを潜めていきました。

 

ポイントは、執着し続けていいよ、とか

怒っていいんだからイライラし続ける、とか、

そういう許しの与え方はしないんですね。

 

やったことは、やったと認める。

その上で、やった自分を受け入れ、許す。

 

という許し方です。

 

心で行うのが難しいときは、

それを全部紙の上で行います。

 

バイス上だと効果が減っちゃいます。

 

メモ用紙と、専用のペンを用意して、

用紙一枚に対し、手書きで一つずつ書きます。

やってしまったことを先に書き、

それを認めて受け入れたと続けます。

最後に「~した私を、私は許します」と締めくくります。

 

一通り続けたら、

その時書いたメモ用紙をまとめて、

 

「私は許されました。手放しました。

お陰で成長できました。ありがとうございました」

 

と唱え、メモ用紙は処分します。

僕は破って、蓋付きのゴミ箱へポイです。

 

許される方の意識と、許す方の意識の間を行き来して、

許された自分に帰ってから、また現実を生きます。

 

それを続けていくうちに、

自分には手を出すことが出来ない

ストレス源が見えてきます。

 

それは明確に、今のあなたの領分ではありません。

1.内側から生まれるもの=我のこと

2.外側からやって来るもの=あちらのこと

この2つの間に、境界線を引くことが出来ます。

 

我のことは我のこと、あちらのことはあちらのこと。

 

アドラー心理学で言うところの、

課題の分離が自然と起きます。

 

境界線の向こうの問題と、どこまで付き合うか。

あちらから何を受け取って、何を受け取らないか。

 

あとは、あなたのさじ加減です。

 

2.古武道に学ぶストレス対処法

では、境界線の向こうの問題と

まだ付き合っていくとするなら、

それはどうしたら良いでしょうか?

 

ここで役に立つのは、

古武道の知恵です。

 

古武道は争わない・ぶつからないことを至上とします。

 

争わないために、闘う訓練を徹底的に積みます。

あらゆる争いごとを想定して備えるためです。

 

一方で、争いの種を決して自分からは撒きません。

そしていざ仕掛けられた時は、決して負けないようにします。

 

江戸時代には「切り捨て御免」という

武士の権利がありました。

 

武士が自分のさじ加減一つで、

無礼な人は自由に斬っていいよ。

みたいに、思ってませんか?

 

実際は、この権利、ほとんど使われませんでした。

 

「まぁまぁ、落ち着きなさい」

「そういうことをしてはいけないよ。一先ず茶でも飲みなさい」

 

そんな台詞だったかは分かりませんが、

武士が一般庶民を傷つけることはまずありません。

 

むしろ、庶民を斬ってしまった時、

厳しい取り調べが行われ、

武士の方の我慢が足りていないと、

切腹が命じられ、斬られた方の家族に

補償が出たりするくらいです。

 

何が言いたいかというと、

多少のことで心が乱れぬよう、

事前準備を徹底するのが武士道です。

 

悪口、陰口、ひどい言い草や振る舞い、

良くないことは承知の上。

だから自分からは決して発しません。

 

一方、人には「まぁまぁ」の精神で。

心乱れるならば、それは自分の落ち度である。

 

という状態を作れるように、

その場にいない時に徹底的に準備します。

上の紙に書くワークは、その準備の一つ。

 

気にしているものを、気にしないように意識する。

傷ついたように思っているのを、平気そうにする。

 

そういった実は違うことを思い込もうとする時、

人には大きなストレスが掛かります。

 

そもそも気にもならないし、傷つきもしない。

 

そんな事前の姿勢づくりが、前提です。

 

事実は事実であると認める。

やったなら、あったなら、そうと認め受け入れる。

いけない、ダメだと思わず、自分を許す。

実物以上に自分を過小にも過大にも評価しない。

認めて受け入れた、この姿が等身大の自分。

 

事前の姿勢づくりは、こんな感じです。

 

境界線を引いたことで明確化した、

我のことを良くなるように動かす。

あちらのことは取り合わない。

 

中には、準備が足らず、その場で対処する

必要があることも出てくるでしょう。

 

その時は、決して逃げ腰になりません。

逃げ腰になると、姿勢が崩れ、

崩れた時点で負けが決まります。

 

むしろ、自分から向かっていきます。

境界線を越えてきた分だけの力を出して、

それ以上進ませない、という意志で対峙します。

 

受け取らないものはかわします。

あちらのことを、手や口を出して、

どうこうしようとはしません。

我のことだけ受け取り、動かせるものを動かします。

 

具体的には分かりづらいと思うので、

会話例を挙げてみましょうか。

 

例文集、作ってみます。

 

……数日時間を下さい!

 

完成したら、改めて載せます。

 

今回はここまで。

 

それでは!