雨に向かって、真っ青に咲く

精神病を克服した人の 心がちょっと楽になる話

・自己紹介 ~Akira~

はじめまして、Akiraです。

 

神棚の前で祝詞を奏上しちゃう系男子です(笑)

 

精神病を克服した経験と、

整体・古武道・仏教・神道などの

東洋の知恵から学んだことを元に、

心が楽になる話を発信しています。

 

Youtubeもやっています。

Akira Channel [統合失調症でも未来へ進める] - YouTube

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勝手も分からないまま始めたので、

映りとか編集とか色々ダサいです(笑)

 

更新頻度はあまり高くありませんが、

今は十数本くらい動画を投稿してあります。

 

一本作るのにかなりエネルギーを使うので;

 

もう少し気楽に発信できるように、

はてなブログ始めてみました。

 

音声とかも楽なので、ラジオ風になんかやるかも。

 

~~~~~~~~~~

 

ここからは、少し過去話です。

 

なぜ心が壊れ、

どのように復活したのか。

 

当時の雰囲気が伝わるように書いていきます。

辛さや苦しさはあまり出さないようにするので、

お時間を頂戴できましたら、お付き合いください。

 

・発症前夜

 

高校を卒業した僕は、一人東京の大学に進学しました。

学業、サークル、バイト、音楽活動、恋愛、自己研鑽と

結構精力的に生活していた方だと思います。

 

愛読書は、桜井章一岡本太郎白洲次郎

音楽は何でも聴いて、アコギで弾き語りします。(下手っぴ)

 

近所の柄悪い高校生が、すれ違いざまに頭を下げて、

「……ぅっすー」してきたような、ちょっと怖い雰囲気のお兄さんです。

高校時代に色々ありまして……

人格が変貌した結果、そんな風になってしまいました。

 

外見は強そうです。細身で筋肉質。

眼光鋭く、覇気とか出しちゃってます。

持ち物も拘ります。髪は染めません。黒大好き(笑)

色んな意味で、普通じゃない雰囲気の人でした。

 

その心の中では、いつも血が流れていました。

周りで何か起こる度、自分のことでもないのに、

痛くて哀しくて仕方がない。

 

だいぶ後で知ったのですが、

僕の生来持つ性質は「大地」だそうです。(地水火風空月とある内です)

「目立たず、人を選ばず、周囲に気を配る。

人知れず、謂れなき罪を背負って苦しむこともある。

誰かの代わりに傷ついた分だけ、誰かが助かっている。

そのことに、誇りを持て」

そう教わりました。

 

「大地」というのは喩え話。

気の及ぶ範囲を全て「自分の上に乗せている」ように認識しているので、

認識内で何かあれば、大地が踏みつけられたり抉られるかのように、

心が敏感に衝撃や痛みを感じます。過敏性もあったと思います。

 

もちろん、この性質の人が幸せに生きていくための

コツや注意点も教わりました。

 

そんな素晴らしい話を知る由もなかった当時は、

勝手に傷ついて、勝手に怒ってる普通じゃない人です(苦笑)

 

周りに理解者は一人もいません。

何か話しても「すごいね」とか「普通そこまで深く考えないよ」

などと返されていました。わがままを言うと、寂しかったな。

 

些細な損得勘定で人を切ったりくっついたりする他の男子学生と、

折り合いは良くありませんでした。

悪口、不平、不満、愚痴、泣き言……

気をつけていると、カッコつけ過ぎとか綺麗事とか言われました。

 

相性が合わないならさっさと離れればいいだけなのに、

合う人と付き合ったらいいだけなのに、

変な義理立てをして、なんとかしようと動き周ります。

すると、メチャクチャ嫌われます;

目障りな独善に陥って、人のコンプレックスを刺激するからです。

 

ルサンチマン

シャーデンフロイデ

 

という言葉があります。

哲学や心理学でよく出る用語です。

 

知らない方のために説明すると、

 

ルサンチマン:下位者が上位者に対し、恨み嫉妬する感情。

        コンプレックスを埋め合わせるための復讐感情。

 

シャーデンフロイデ:他人の失敗や転落を喜ぶ悦楽の感情。

           古来より、洋の東西を問わずよく見られる。

 

そうです。めちゃくちゃ食らいました。

 

要領いい人は、こういう人の感情の機微をよく分かっていて、

自分が受けないよう上手く立ち回ったり、見掛けを装ったりします。

 

僕は要領の悪い、そういった振る舞いが出来ないタイプでした。

そのくせ、目立たず周囲に気を配る「大地」の性質なのに、

むしろ人目に立つところがありました。

周りの男子、居心地悪かったろうな;

 

志を持って生きる、世間の渡り方も知らない未熟者。

青い理想を実現するために、身体張って足掻く粋がり。

 

大学時代の僕を評するなら、そんな感じです。

現代社会では、「バカ」な若造の代名詞となっている人物像です。

 

それでも、走ることを止められませんでした。

命を剥き出しにして生きていました。

何かのために尽くし続けることが、心を支える唯一の杖だったからです。

 

傷だらけの血まみれ。

報われもしない努力を延々と続ける。

 

そしてある日、

玄関の前で僕は倒れ、そのまま動けなくなりました。

4年半に渡る闘病生活がここから始まります。

後に「統合失調症」と診断される病いとのチキンレースです。

 

・命と幻覚妄想、先に消えるのはどちらか

 

などと大層な見出しを付けてみました(笑)

 

実際はそんなに大層じゃないです。

外から見ると、布団から1mmも動かない人が、

ある時、突然衝動的に意味不明な言葉を叫んだり、暴れたり、

時々死のうとするだけです。

 

統合失調症って、そんなイメージじゃないですか?

後は、現実的にありそうもない妄想を本当なんだと訴えてきたり。

 

クレイジー

 

と呼んで差し支えないです。

でも、だからと毛嫌いして遠ざけるのは違います。

 

例として、こんな実話があります。

 

ある国の村で、この手の症状を呈した女性を、

地元の「シャーマン」が診ました。

 

彼女を視たシャーマンはこう語ります。

 

「彼女は気ふれである。彼女の身内が正しくない行いをしたために、

超常の力が封印を解かれ、彼女を苛んでいるのだ」

 

その後シャーマンは祈祷を行い、

身内のみなが、積極的に関わりを持つことを求めました。

すると、彼女の症状は一週間後には消えてしまいました。

 

では、身内が悪いというのか。

いいえ、違います。

 

特定の誰かを悪者扱いすれば済む、ということはありません。

 

その説明のために、少し長くなりますが、

見えない世界の話について、ある見解を一つ示そうと思います。

 

人は誰しも、多かれ少なかれ、何かを担っています。

ところが、人間関係の乱れ、コミュニケーションのもつれから、

自分がこれを担うのは不当だ、損だ、と考える人物が現れます。

 

その人は、何かを担うことを放り出してしまいます。

人に押し付けたり、見ないふり、知らんぷりを始めます。

 

この「何か」を、具体的に定義できないのがもどかしいですが、

それは「問題」と呼ばれたり、古い言い方で「厄」と呼ばれたりします。

 

ひとまず、厄とは、人から人へと渡り歩く、

重い負の感情を生む素のようなものと考えて下さい。

 

引き受ければ「役」となり、放り出せば「厄」となります。

 

では、責任を押し付けあって、たらい回しにされた「厄」は、

放り出された果てにどこへ行くのでしょうか?

 

ご想像の通り、

心を病む人の所に結構流れ着いています。

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こんなイメージです

誰かが見て見ぬふりをし、知らぬふりをし、

自分には関係ない、自分は悪くない、これでいいだろ、仕方がないだろ、

と逃れた分だけ、それを一人で背負ってしまう誰かが現れます。

 

現代では、生活に困難が生じるほどに背負ってくれている人のことを、

「精神病患者」と呼ぶことが多いようです。

 

少し厄介なところは、

このたらい回し、世代を超えて届きます。

 

今背負っていることが最初に生まれたのは、

実は戦国時代だった。なんてこともあります。

日本中で合戦やら裏切りやら人狩りやら餓死やらあった時代ですからね;

 

その時代を生きた人と、我々は間違いなく血縁で繋がり、

遺伝情報や世代間の人間関係を通じて影響を受けています。

 

世代を越えて渡り続ける原因を、

ある世代の家族の誰かが悪いと押し付ける。

 

それでは押し付け先を変えただけですね。

 

したがって、本人が弱いとか、家族が悪かったとか、

安易に責任を求めると、解決から遠ざかります。

 

シャーマンの話で「正しくない行い」とあったのは、

このたらい回しの押し付け先として、

その女性一人に背負わせてきましたね。

という意味だと、僕は解釈しています。

 

一方で、彼女は自分の心に異常を来すほどに、

誰かの厄を引き受ける「役」になることで、

他の家族を良くない影響から守っていた。

そんな見方も出来るんです。

 

・本当に良くなるということ

 

そこで、ご家族に統失患者をお持ちの方なら、

 

「あなたは、私達を守るために、

これほどに多く、重きを、担い続けてくれていました。

これまで本当に沢山助けられてきました。あなたのお陰です。

今この時も担い続けてくれている、あなたに感謝し、

そして誇りに思います」

 

そう心の中で唱えて、唱えた通りに接してみて下さい。

可能なら、ご自身もそれを一緒に担うと決めて、

寄り添って共に生きてみて下さい。

 

ご本人なら、

 

「この辛さは、私が家族を守るために、

全身全霊を尽してきた痛みです。

家族がそれを知らずとも、私は自らの意志で担い、

影ながら守ってきました。

力を沢山遣ったので、今は少し休みます。

私は、私に、私が休むことを、許します」

 

と心の中で唱えてみて下さい。

ちょっと楽になります。

 

もし何か負の感情が湧いてしまった時も、言葉で打ち消します。

 

「この感情は、私のものではありません。

私にその感情を与える、厄は今、祓われました。

私は手放しました。去っていきました。

私は守られました。ありがとうございました」

 

文言はあまり気にしないで下さい。

僕が実際に色々試してきた言葉のセラピーを、

効果が強くなるように編み直したものです。

 

他にもっといい文言があるかもしれません。

 

覚えておいて欲しいのは、

言葉の力によって視点の位置と意識状態を操作すると、

結構効果があるということです。

 

こういった効果を活用しながら、

「厄」を祓って「役」を担う生き方を取り戻す。

 

思い出すのほうが近いかな?

 

そしてその重さを、なんてことはなく担えるように、

家族、縁の深い人同士で繋がる共同体が、成長の道に入ること。

それが、本当の意味で良くなっていくことだと、僕は考えます。

 

ここで東洋の知恵をちょっと紹介すると、

 

仏教では「苦しんで亡くなった先祖の霊が成仏できていない。

     先祖の成仏を祈って供養しましょう」

 

神道では「罪穢れが溜まっているので、祓い清めましょう」

 

こんな感じの話になります。

 

これらの意味合いはそれぞれ、

 

「過去に先祖の誰かが作ってしまった負の感情を生む原因が、

対処されないまま今を生きる人に伝わって、

良くない影響を与えています。

その人もまた、大変苦しんでいたために、そうなりました。

その人が救われるようなイメージを向けることで、

負の感情を生む原因に対処すると、解決します」

 

「どこかで生まれた罪(=積み:心に積み上がって心を重くする原因)と

 穢れ(=気枯れ:生命力を減少させる原因)を取り除けば解決します」

 

教えの浅い所を掬うと、こんな解釈が可能です。

割とどちらも似たようなことを言ってます。

 

仏教では先祖を思い、お経を唱えます。

お経は悟りを開いた人の高い意識状態を

言語で表現したものです。

 

神道では神を思い、祝詞を唱えます。

祝詞は一音一音に宿った言霊の力と、

神話に基づいた罪穢れが祓われる物語の、

ダブルの力を働かせます。

 

本職の方から怒られそうな説明ですね;

「方便」ということで、勘弁して頂けると有り難いです。

 

僕を復活させた言葉をちょっと見てみましょう。

 

「親から子、子から孫へ、家系を辿って悪い影響が受け継がれ、

それが今、自分という結び目に集まっている。

俺はこれを、自分の意志で引き受ける。

放ったらかしにされてきた人としての問題に

光を当て、解決し、価値に変えて子供達に伝えるんだ」

 

こんな感じでした。

 

これが自分の中から出てきたのを機に、

状況や症状はV字回復していきました。

 

最初の方で紹介した僕のチャンネルの動画で、

「絶望の中に火種を見つけた」という話が出てきます。

 

この動画です。

youtu.be

お陰様で再生数が30,000回に届こうとしている動画です。

みなさん、ありがとね。

 

この「火種」というのが、

生きる原動力となる「熱量」を生み、

その熱によって人は元気に生きられます。

 

僕が「火種」と呼んだのは、

自身の人生の課題と真正面から向き合った時に現れる、

「役目」という名の生きる理由である。

 

こう言いかえることも出来ます。

 

あなたの中にも、「火種」はあります。

 

もし辛い時を過ごすことがあっても、

その「火種」を大切に守って下さい。

 

引き受け、そして受け継いでいく役目に戻ることが出来ると、

状況が好転すると、僕は思っています。

 

Per aspera ad astra ~ 困難を通って天へ

 

いい言葉です。ラテン語の格言です。

中二臭いですかね?(笑)

 

~~~~~~~~~~

 

さて、自己紹介といいながら、

なんだか力の入った文章を書いてしまいました。

 

もっと楽にやれると思って始めたのにな……

 

こんな気質なんです。

 

それでは、5,000字超えの長文、

ここまでお付き合い頂き、誠にありがとうございました。

 

こんな感じのテイスト、内容の記事を

これからポツポツ投稿していくつもりです。

 

もっと短いものも出します。

読む人も疲れちゃうもんね……(苦笑)

 

ヘロヘロでも僕は元気です。

これからも生きていきます。

命を全うしてみせます。

 

ありがとうございました。